柱を持とう!

柱。

と言っても、家の柱の話ではありません。
心の話です。

信念というのもその柱に相当するのですが、ここで言う柱とは微妙に違うんです。

自分が死ぬときに
「どういう状況、環境にいたいのか?」=「どういう事をやって来たのか」という事です。

例えば、ポックリ死にたい。というのは多くの人の希望です。
死は、絶対に「死ぬ運命」にある我々人間の定めですが、これでもかっ!てくらいに苦しみ続けて死んで行く人もいる一方、夜普通に寝て、朝起きて来なかった。スヤスヤ寝ながら息を引き取ったっていう人もいます。
また、無念だらけで死ぬ人もいれば、思い残す事なく満足しながら亡くなる人、葬式の時皆に泣かれ惜しまれる人もいれば、清々される人もいます。

では、なぜ「いい死に方」と「つらい死に方」があるのでしょうか?

我々人間には見えない法則が常につきまとっています。
それは「因果応報」というやつです。
この法則は良い事にも悪い事にも当てはまります。

良い事を行なっていれば、良いことが返ってくる。
悪い事を行なっていれば、悪いことが返ってくる。

それは「今すぐ」の場合もあれば、「何年か後」に返ってくる場合もあります。
厄介な事にこの法則は“絶対の法則”なんです。
疑う人は、自分の過去をじっくりと思い出して下さい。
今起きている現象は過去の自分の行いが原因だと認識できるはずです。

良い事であれば、きっと今のあなたは幸せでしょう。
悪い環境であれば、きっと今のあなたはシンドイ状況でしょう。

ただ、気をつけなければいけないのが、この「因果応報」は小さなものであれば単発で起きますが、人生という大枠であれば継続的な今までの人生という事になります。

わかりやすく言えばこの「因果応報」は継続的に繰り返され、小さいものから大きなものまで入り混じっているんです。
だから、日頃の心持ちが重要になるんです。

例えば、人生が上手くいっていない。それは、自身の過去がそうしているのですが、全く身に覚えのない、しかも有っても「微細な良くない行い」で今の不幸とバランスが取れないなんて事もあるでしょう。

でも、それは気がついていない、もしくは忘れているだけかもしれません。

もひとつ例えば、学生時代「いじめ」がすぐそばで起きていたとしましょう。その時、自分はいじめてもいじめられてもいない。でも告げ口したり、注意するのは自らを危機に陥れたくない一心で見て見ぬ振りしてしまった。
自分には関係無いこととして、あまり気にもしていなかった。なんていうのは何気に良くある話では無いでしょうか。
これって、大NGなんです。
だって、犯罪が目の前で起きていれば普通通報しますよね。それすらしないと言うことは見殺しにした。と同意なんです。
つまりはイジメをした人間と見て見ぬ振りをした人間は共犯者と言う事になります。
少し余談ですが、もちろん、いじめられている状況は本人の問題なのですが、全くの知らんぷりは人間の行いではありませんよね。
気がついていたら、自分のできる範疇で何かする。
でないと、「因果応報」に影響を及ぼします。

さて、では既に「やっちまった人」はどうすりゃ良いのか?

実はそれこそが重要なんです。
人生の意味がそこにあります。やっちまった事を教訓に自分にできる事をセッセとやります。良い事に働く「因果応報」を作って行くんです。
簡単なことでも良いんです。常に自分の教訓と反省に基づいて行動することが重要なんです。

そして、その自分のできる小さなことの積み重ねの延長線上に自分の将来、人生の終了を見据えてどんな人生に組み立てるのかを心に樹立します。
それは些細なものでも良いと思います。多少、打算があってもいいと思います。

その柱を自らの中心地として、絶対にブレないと言う絶対条件の元に人生を組み立てます。
もちろん、その柱の延長線上には人生のゴール(死ではない)を見据え、そのゴールに辿りつくにはどうしたら良いのかを思い描けばどんな道に進もうと、どんな人生になろうと目指す方向は見えているので困ることはなくなります。

柱さえあれば、人生における心の迷いは起きにくくなります。
そうなれば、どんな困難も実はあまり問題ではなく「何をしたら柱の先のゴールに結びつくのかを考えて生きる」ことができるようになります。

少し具体例を挙げると、NGは「医者なって病気の人を救いたい」は単なる職業選択にすぎません。正しくは多くの人を救い続ける。その為の職業は?って考えます。でないと定年後に「柱」が無くなるって事になってしまいます。

人生の最後にどうなっていたいか?
それを決める事って自分の原動力になるんです。

人によっては、誰かの夢の柱を一緒に歩むのでも良いですし、僕のように偉大な我が師匠に認められる人生にしなければ(柱でないとこはラフですが・・・)!なんてのもアリです。

最近、なんかツイてないって感じている人は、ツイていないのではなく「このツイいていないを知恵を使い克服して、柱に忠実に行動し乗り越えられればよい因果応報が待っている」って思えたら良いですね!

つまり、それってツイているんです!

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